【高嶺の花】これは純文学だと思った
高嶺の花の感想がツイッターに収まりませんでした。
脚本:野島伸司、てなってるだけで妙に期待してしまう癖を直したいです。
ただ、今回はいつになく世界観爆発させてるなあと思いました。
世論の感想は二極化らしいですが、私は良い話だなーと思ってます。
最近のドラマにありがちの安っぽさ、視聴者への媚びた感じ、は一切なかった。
(私は媚びたドラマも大好き)
数字とか気にしません、やりたいことやります、て感じが良かったと思う。
基本的にそこが超純文学だな、と感じた。
(純文学の解釈の仕方は多々あることは自覚してます)
ついてこれない奴は置いて行く、みたいな。
批判する奴は「ついてこれなかった奴」みたいな。
だから、描写もかなりこちらの汲み取りに任せている感じがした。
そうたの自転車旅とかって、多分普通にストーリーの構成的には不要だと思うんだけど
あの旅行がちゃんと、ストリーテラーを務めていたし
他のキャラクター達もそれぞれがちゃんと1つの目的を目指して走ってた。
「どうなるのかな?」っていうワクワク感を近年はドラマにも小説にも求めすぎな傾向の中、最後はもう決まっていて、そこにたどり着くまでの要素だったり、他のキャラクター達の感情の動きだったりってところに着目させるのがすごい。
というかそもそも、視聴者の心をいい方向にせよ悪い方向にせよ、割と大きめに動かせるのがすごい。
「かわいい」とか「感動ー」とかじゃなくて、なんとなく考えさせるのがすごい上手いなって思う。
だから、「なんか分かりづらいな」とか「なんか面倒くさいな」とか「うるせぇな」とか、そういう感想を持つ人が多いんだろうなと思った。
まあ、これは純文学なので、ついてこれない人は置いて行くスタイルだったんだろう。
ドラマって、対大衆だから必ずしもそういう作品が正しいとは思ってないけど、たまにはそういうのもないと、頭使わなくなっちゃう。
桃の最後に生けた花が本当に綺麗で、優しくて、本当に感動した。
し、作品の方向性が4話の、ぷーさんのために生けた花と同じで
ももはぷーさんのためを想って生ける花はああなるんだな、と思った。
それにななちゃんの、まっすぐな感じも貫いてて素敵だったし。
父親がもう一人でてくるのは家族のあり方問題大好きな野島さんらしいっちゃ、らしいし。
それにみんな幸せで終わるのはドラマだからできること。
「ありえないだろ」をやるのが物語でいいと私は思ってるから、
ハッピーエンドに勝る終わり方はこの世にはない。
家元が言った、「芸術は天才たちの命を懸けた戯れ」という言葉も
すごく重くて、かつ納得した。
芸術はあくまで娯楽であって、本当に戯れにすぎない。
だからこそ、突出した人たちがそれに賭ける姿は姿までもが芸術になる。
芸術について、家族のあり方について、愛について、成長の過程、色んなことをちゃんと答えありきで10話にまとめたなあ、てとこがすごかった。
とゆうか、最終話で桃が生けた花がすごすぎて、なんかもう、そういうことだなあて感じだった。
生け花指導の方のインスタはフォローしてしまいました。